cosmos222012-06-28

「悪の対話術」著.福田和也(講談社現代新書)を読んで

五年程前にこの本を読んでから、すぐに手の届くよう部屋のどこかに置き
思いだしては開いて読んでいます。
繰り返し読まなければならないほど、この本の内容が面白く引き付けられたのかもしれません。
この本は簡潔にまとめると、世の中を上手に渡ってゆくための「頭のいい人間」に
近づくための「対話術」が書かれていると思います。
本の題名を拝見した時は「悪」という文字に身体が拒否反応を起こしましたが、
拝読してゆくにつれ著者のユーモア交えた語り口と客観的思考や視点に引き付けられて
感心するばかりでした。
著者はこの本の中で『意識的に』という言葉を重要視しているように考えます。
文中で、
「意識的に対話するということは大人になり成熟するための、そして自分の人生を切り開いてゆくための手段…」
「…自分が抱いた感情や意見を相手に伝えるのは、思ったままをそのまま述べてはなりません。素朴さが何らかの意味をもつと考えるのは、とても幼いことです。
素朴な感想をそのまま表明すれば相手は間違いなくそれをあなたの意図と違ったように受け取ります。」

この文章は私にとっては胸にグサグサと突き刺さるような厳しい忠告にも受け取れました。「自分は素朴な人間です」と堂々と人に言える年齢ではないのですが、どこかで
馬鹿がつくほど素直で通して生きてきたと思います。
今までは「それでいいか…」と長い年月を見逃して自分を放って置きました。
しかし生ぬるい生活はずっと続くわけではなく、何かをきっかけにして、あれよあれよと環境は変わってゆくものなのかもしれません。
その時に、今までと変わらないおなじ自分でいたならばどこかで濁流の渦の中に飲まれていたのかもしれません。
私は生活してゆく上で人とのコミュニケーションはとても重要で厄介なものだと思います。ですが、生きてゆくためにはそこから遠ざかってゆくことはできません。
上手にやってゆくためには面倒なことはあるけれど人生を切り開いてゆく手段として「対話術」を少しずつ勉強してゆきたいと思いました。