本の感想「こころの処方箋」(新潮文庫 河合隼雄著)

cosmos222012-07-16


今日は「こころの処方箋」という短編集を紹介します。
この本は、私たちの日常生活に少なからず関わっている出来事を事例に出し、
数々の難題を著者の視点から分かりやすい言葉で紐解いてくださっています。
ここに載せているもの殆どの章を紹介したいのですが、莫大な行数になってしまいますので〈羨ましかったら何かやってみる〉の章について考えてみたいと思います。
私は人様に自慢できることはなにひとつなく無能な人間ですので、とにかく他人に対して「羨ましい」という気持ちは人より多く持っていると思います。
ですが、心の中では思っていても声に出して発することはなく、どこかで諦めと認めたくない自分がいたり、そのことを感じることから逃げていたのかもしれません。
文中より
〈未開発の可能性などというと口あたりがいいが、人間というものは、なるべくなら難しいことや苦しいことは
避けたいと願っているところがある。そして可能性を開発してゆくとき、多くの場合に困難や苦しみはつきものだと言っていいだろう。
しかし、自分にとって実に多くの未開発の部分がある中で、特に何かが「羨ましい」という感情に伴って意識されてくるのは、その部分がとくに開発すべきところ、あるいは開発をまっているところとして、うずいていることを意味しているのである〉と、ありました。

そこで自分はいったい何を「羨ましい」と考えているのか出してみようと思います。
「手際のよい人、要領の良い人、博学多才な人、仕事の出来る人、雄弁な人、美的センスのある人、社交的な人、機械に強い人、整理整頓が得意な人、話を聴く能力のある人、記憶力のある人…」など。
考え出すときりがなく、これも莫大な行数を使うことになりそうですのでとりあえずこのようなものを出してみました。
もし、これらが私自身の未開発の可能性だとすれば、改善させるには、おそらく血の滲むような努力と程遠い時間が必要になることでしょう。
私のことを良く知っている周囲の人間ががこのことを知れば、「可能性はない」と口を揃えて笑いモノにされることでしょう。
未開発の可能性を見出したところで〈実際にやり抜くのはなかなか大変なときもある。〉と、著者がいうように、私も悲しいですが「各個人の限界」も関わってくるのではないかと思っています。
しかし、ひとりの人間には限界があること、を知ったうえでやってみること、生きてゆくことは挑戦してみることなのかもしれない、と思いました。
そこで、私の「羨ましい」と思っているものを種類別に分けて自分なりの判断をしてみようと思いました。

●手際のよい人、要領の良い人、仕事のできる人、 …努力しだいで△
●博学多多才な人、機械に強い人、記憶力…おそらく、×
●雄弁な人、社交的な人、…無理とは判っているが希望を捨てず、○
●美的センスのある人、整理整頓が特異な人…努力すれば、◎
●人の話を聴く…希望が強いので、◎

やはり、改善できそうなことから意識して改善してゆくこと、と考えました。
例えば、美的センスを持っている人と積極的に話をして技術を教えてもらう、要領の良い人の傍につき真似をしてみる…など、積極的に、デキる人の近くにゆくことか思いました。
仕事は、自分の能力にあったものを探すしかないと思います。自分の苦手な分野を仕事にしても「仕事のできる人」になるには程遠いように思います。
最後の、「人の話を聴く」はそうとう技術が必要なことだと私は思っています。

先は長そうです。